【編集部厳選】門前仲町駅 × 史跡のおすすめスポット6選!

目次

渋沢栄一宅跡

東京都江東区永代2丁目にある「渋沢栄一宅跡」は、アウトドアと史跡のスポットです。日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一が1876年から1888年まで住んでいた本邸跡であり、その後は深川邸として利用されました。また、1897年には渋沢倉庫部(澁澤倉庫株式会社)が設立された場所でもあります。周辺には公園もあり、散策にも最適です。

【公式サイト】http://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/shiseki/16015.html
【住所】東京都江東区永代2丁目37

門前仲町の火の見櫓

東京都江東区門前仲町にある火の見櫓は、江戸時代に火災の早期発見を目的に建設された史跡です。高さ約9mの櫓は、上部の早鐘で発生を知らせました。当初は富岡八幡宮の一の鳥居付近にありましたが、2002年に当地で復元されました。江戸時代の歴史を感じられるスポットとして、多くの人々に親しまれています。

【住所】東京都江東区門前仲町2丁目1

佐久間象山砲術塾跡

「佐久間象山砲術塾跡」は、江戸時代に活躍した兵学者・朱子学者・思想家・松代藩士である佐久間象山が開塾した西洋砲術塾の跡地であり、史跡として現在も残っています。象山は、信濃国松代藩下屋敷に西洋砲術塾を開き、江戸でも佐藤一斎に朱子学を学びました。また、海外事情の調査や海防問題にも取り組み、江川太郎左衛門(英龍・坦庵)に入門して西洋砲術を学びました。象山は、当地で勝海舟を含む諸藩の藩士らにも西洋砲術を教え、信濃松代に戻った後は、江戸の木挽町に砲術塾を開き、吉田松陰・坂本龍馬・加藤弘之らが入門しました。しかし、ペリー来航で吉田松陰による密航未遂事件に連座して松代に幽閉されるなど、波乱に満ちた人生を送りました。

【公式サイト】http://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/shiseki/16007.html
【住所】東京都江東区永代1丁目15-2

伊能忠敬住居跡

「伊能忠敬住居跡」は、江戸時代に活躍した商人・天文学者である伊能忠敬が住んでいた場所であり、史跡として知られています。伊能忠敬は日本全国を測量して「大日本沿海輿地全図」を完成させ、国土の正確な姿を明らかにしました。彼は東京都江東区深川黒江町に住居を構え、測量のために自宅から蝦夷へ向けて出発しました。この場所は、彼の測量の出発点としても有名です。また、彼が参拝した富岡八幡宮や浅草の暦局、至時宅なども近くにあり、歴史的な価値が高い場所としても注目されています。

【公式サイト】http://www.city.koto.lg.jp/103010/bunkasports/kanko/spot/5445.html
【住所】東京都江東区門前仲町1丁目18

松平定信海荘跡

東京都江東区にある「松平定信海荘跡」は、江戸時代に活躍した大名・松平定信の抱屋敷跡であり、史跡として知られています。定信は陸奥国白河藩の第3代藩主であり、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫でもありました。この敷地は、定信が1816年に入手したもので、別名「はまやしき」とも呼ばれています。定信は庭園家としても知られ、瀟洒な庭園には桜やツツジなどが植えられていました。また、定信は寛政の改革を行ったことでも知られています。訪れた人からは、歴史的な価値が高く、趣のある庭園が魅力的だという口コミが寄せられています。

【住所】東京都江東区牡丹3丁目15-1

横綱力士碑

「横綱力士碑」は、東京都江東区富岡にある史跡です。歴代の横綱力士と強豪大関雷電爲右エ門を顕彰しており、1900年に完成しました。宮小路康文の揮毫で碑銘が刻まれた正面と、初代明石志賀之助以降の横綱力士、「無類力士」として雷電の名が並ぶ裏面があります。この碑に基づく一般的な歴代横綱表は、綾川五郎次(初代)を2代目、丸山権太左衛門を3代目としています。新横綱誕生の刻名式は、太平洋戦争中に一時中断され、40代東富士欽壹の昇進時に復活しました。1998年、66代若乃花勝(3代)の昇進時に再び復活し、以降、境内で横綱土俵入りを行ってから刻名奉告祭を行うことが恒例となっています。

【公式サイト】http://www.tomiokahachimangu.or.jp/
【住所】東京都江東区富岡1丁目20-3
【電話】03-3642-1315

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