【編集部厳選】人形町駅 × 史跡のおすすめスポット10選!

目次

渋沢栄一像

渋沢栄一像は、東京都千代田区大手町にある史跡であり、彫像でもあります。渋沢栄一は実業家や慈善家として活躍し、日本資本主義の父とも呼ばれています。彼は、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)で生まれ、豪農の家庭で育ちました。彼は北辰一刀流の千葉栄次郎の道場に入門し、剣術修行をしながら勤皇志士と交友を結びました。江戸時代、彼は農民から武士に転身し、幕臣となりました。彼は、徳川昭武の随員としてフランスを訪問し、商法会所を設立するなど、多くの業績を残しました。渋沢栄一像は、常盤橋公園にあり、彼の功績をたたえるために建てられました。

【住所】東京都千代田区大手町2丁目7-2 常盤橋公園

三井本館

東京都中央区にある三井本館は、史跡として知られています。建物はトローブリッジ・アンド・リヴィングストン社(米国)とワイスコッフ・アンド・ピックワース社によって設計され、1929年に竣工しました。かつては三井財閥の本拠地であり、現在は三井不動産が所有しています。越後屋の跡地に建てられたこの建物は、團琢磨暗殺事件(血盟団事件)の現場にもなった歴史的な建築物です。旧三井本館は1902年に竣工しましたが、1923年の関東大震災で被災しました。また、1945年から2年間は連合国軍最高司令官総司令部に一部が接収されていました。

【公式サイト】https://www.mitsuipr.com/sights/historic-places/06/
【住所】東京都中央区日本橋室町2丁目1-1

西郷隆盛屋敷跡

東京都中央区にある「西郷隆盛屋敷跡」は、明治維新の元勲である西郷隆盛の屋敷跡であり、史跡として知られています。明治時代には約15名の書生が住み、下男を7人雇い、猟犬を数頭飼っていたとされています。西郷隆盛は維新後、鹿児島にいたが、1871年に新政府から請われて上京し、参議に就任。留守政府首班として学制・徴兵制度・地租改正などの重要政策を実現しました。また、1873年には朝鮮との国交問題が緊迫し、征韓論が高まる中、西郷は自らが朝鮮に渡って交渉にあたり、問題の解決に尽力しました。

【公式サイト】https://www.city.chuo.lg.jp/bunka/shisetsu/kankoujouhou_center.html
【住所】東京都中央区日本橋人形町1丁目6-3

北町奉行所跡

「北町奉行所跡」は、江戸時代に江戸市中の行政・司法・警察など幅広い分野を担っていた北町奉行所があった場所で、東京都千代田区丸の内1丁目8に位置しています。1806年に呉服橋御門内に設置され、屋敷の鬼門・艮(北東)の方角を護る呪術的な意味があるとも言われています。現在は史跡として残されており、江戸時代の面影を感じることができます。

【住所】東京都千代田区丸の内1丁目8

与兵衛鮨発祥の地

「与兵衛鮨発祥の地」は、東京都墨田区両国にある史跡です。1824年に江戸三鮨の一つ「与兵衛寿司」が開業し、ワサビを使い握り寿司の原型を考案した華屋與兵衛によって創業されました。與兵衛は別名小泉與兵衛、花屋與兵衛とも呼ばれ、1799年に東京都中央区で生まれました。現在でも多くの人々に愛される寿司の歴史的な発祥地として、多くの観光客が訪れています。

【住所】東京都墨田区両国1丁目8-7

堀部安兵衛武庸の碑

「堀部安兵衛武庸の碑」は、東京都中央区八丁堀にある史跡です。江戸時代に活躍した武士で、赤穂浪士四十七士の一人である安兵衛の功績をたたえたものです。安兵衛は、越後国新発田藩溝口家家臣の中山弥次右衛門の長男として生まれ、天性の剣術の才を発揮し、堀内正春の道場で免許皆伝を取得しました。また、菅野六郎左衛門が高田馬場での果し合いの際、武庸は助太刀として相手方を斬ったことでも知られています。堀部安兵衛武庸の碑は、そのような安兵衛の生涯を紹介するものであり、歴史に興味のある方にはおすすめのスポットです。

【住所】東京都中央区八丁堀1丁目14-7

一石橋迷子しらせ石標

「一石橋迷子しらせ石標」は、東京都中央区八重洲にある史跡です。江戸時代には繁華街として発展し、迷い子が多く出たため、地元西河岸町の人々によって1857年に建てられました。しるべの右側には「志(知)らする方」、左側には「たづぬる方」と彫られ、上部に窪みがあります。使用法は、左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、それを見た通行人の中で心当たりがある場合は、その旨を書いた紙を窪みに貼って迷子、尋ね人を知らせたという歴史があります。

【公式サイト】http://www.syougai.metro.tokyo.jp/bunkazai/heritagemap/chuo/chuo03.html
【住所】東京都中央区八重洲1丁目11

鎧の渡し跡

「鎧の渡し跡」は、東京都中央区日本橋兜町にある史跡です。江戸時代には鎧の渡し場として利用され、1872年には鎧橋が架けられて渡しは衰退しました。平安時代には源頼義がここで暴風逆浪に遭い、鎧を海中に投げ入れて竜神に祈りを捧げ、無事に渡ることができたという伝説があり、以来ここを鎧が淵と呼んでいます。また、平将門が兜と鎧を納めた場所とも言われています。

【住所】東京都中央区日本橋兜町1-1

電燈供給発祥の地

「電燈供給発祥の地」は、東京都中央区日本橋茅場町にある史跡です。1887年に東京電力によって建設された日本初の火力発電所であり、周辺地域の電燈供給を開始しました。発電設備は直立汽缶と横置汽機を据付け、25キロワットのエジソン式直流発電機1台を運転しており、配電方式は電圧210ボルト直流三線式でした。工部大学校の講堂において、日本で初めての電灯が点灯してから9年後に建設されたこの発電所は、日本における配電線による最初の電燈供給の起源となりました。

【公式サイト】http://www.chuo-kanko.or.jp/
【住所】東京都中央区日本橋茅場町1丁目3-10

蛎殻銀座跡碑

「蛎殻銀座跡碑」は、江戸時代に銀座が移転し、不正行為が発覚した後、蛎殻町に移転した歴史的な場所です。ここでは南鐐二朱銀鋳造が再開され、幕府による統制が強化されました。また、御用達町人による請負事業から事実上幕府の直轄事業となりました。江戸時代の貨幣鋳造の歴史を知ることができます。

【住所】東京都中央区日本橋人形町1丁目17-8

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